交詢社(東京都)
交詢社は、明治13(1880)年に福澤諭吉の主唱のもとに、わが国初の社交倶楽部として設立され、明治、大正、昭和と「日本の近代を語るうえで重要な位置を占めてきた」機関である。
当初の交詢社の建物は、関東大震災で全壊したが、昭和4(1929)年には地上7階建ての2代目ビルが建てられ、昭和初期の代表建築として大変親しまれていまれたが、築後70年が経過し、このたび建て替えられることとなった。


木の再生
今回の最大の課題は、単に竣工時の室内空間を再現するのではなく、長い年月のなかでつちかった建築部材の風格をうしなわず再生させることであった。
長い年月の木材の焼け。入隅のおくまで染み込んだ汚れ。その場しのぎの補修跡。
かつての質感を失わずに汚れを取り払い欠損した木部を新たに補充しながらの修繕工事は、予想外に難しい作業であった。
新たな建物のプランに応じ、旧来の部材と全くおなじ木枠を新たに設ける必要もあり、細かい手仕事での木彫り、古い質感を再現させる塗装仕上げも要求された。
談話室のキャビネット型の壁面、小食堂のナグリ仕上げの付け柱や梁、階段の手摺の何気ないディテール等各所に見られる手仕事の痕跡に、現在竣工されるインテリアには比べ物にならない細かい工夫がなされ、奥行きの深さ感じさせる濃密な建築空間が再現された。
今回の再建移築は、上記の要望にも十分答えるものであった。その優れた意匠も失われることなく保存再現され再建された空間をご覧になった関係者の方々にも失望されずにすんだことは、当社としてもこの上ない貴重な経験であった。
この空間が無事保存され、また70年後移築される機会に当社が携われることを夢見たいものである。


旧交詢社ビルディング
建物の解体時より日本建築学会から保存の強い要望書も提出された。「明治・大正・昭和初期において、数々の優れたオフィスビル・クラブハウスを担当した横河工務所が設計した・・・昭和初期を代表する建築で」であり、「内部も質の高いインテリアを有しており、昭和初期の倶楽部建築の様相を語るにふさわしい優れた意匠を備えています。」と評価される貴重な建築物であった。
